検索

【ネタバレ】小説『1984年』のあらすじと二重思考の考察

Camel

どうも、『動物農場』に続いて『1984年』も読みました。
「自分の外側に現実はあるのか?」
そんなことを考えているラクダ@motomotocamelです。

『動物農場』を読んでから、あまりの興味深さに急いで買った『1984年』ですが、他にも読みたい本がありKindleの奥底に眠ってたんです。
そんな時、ぱんたさんの書いたジョージ・オーウェルの『 1984年』と全体主義の恐ろしさを読み、また最近流行っていることを聞き、『1984年』を読みはじめました。
読み出してからは止まらなくなるほど心惹かれ、時間が作れれば本にかじりつく毎日。

「なぜ今『1984年』は飛ぶように売れているのか?」
「私たちは何をしたらいいのか?」
この問いに対する一つの答えは、ぱんたさんの記事に書かれていますので、そちらをご覧ください。

私が書きたいのは、最も興味を持った物語の中核をなす二重思考について。
二重思考を、本当の意味で行うことは可能なのでしょうか?

薬剤師として生理学や薬理学を学んだラクダとして考えてみようと思います。

スポンサーリンク
レクタンブル(大)

あらすじ

1984

核戦争後、世界は3つの大国に集約された。
アメリカ大陸とイギリス、オーストラリア、アフリカ南部を所有する、大海に守られたオセアニア。
ヨーロッパからロシア極東までを所有する、広大な国土の持つ縦深性に守られたユーラシア。
中国や日本といった東アジアを中心として、多産と勤勉さに守られたイースタシア。
物語はオセアニアに属し、古くはイギリスと呼ばれたエアストリップ・ワンの最大都市であるロンドンを舞台とする。

一党独裁が敷かれ、テレスクリーン(双方向テレビジョン)による監視、家族による密告によって常に行動が管理される社会。
使用できる言語を減らすことで議論や空想を阻害し、動物的な欲望を枯渇させることでヒステリーかつ一面的な状態を維持することを強いられる人間。
ヒステリーの生み出すエネルギーを推進力として、敵への憎悪と党への信奉を増大させていくシステム。
このような社会情勢のもと、主人公であるウィンストン・スミスは愛人であるジュリアと愛を育んでいく。

愛のあるセックスは犯罪であり、ウィンストンには党から離婚を許されていない妻がいる。
隠れて会っていた2人だが、党の監視からは逃れられなかった。

拷問の末に射殺されることを予想するウィンストンだが、彼に施されたのは教育だった。

「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」
『1984年』より引用

教育の一環として拷問されたウィンストンは、こう叫んだ。
それは、ウィンストンにとって全ての自由を放棄したのと同意である。
彼は以前日記に記したのだから。

「自由とは2足す2が4であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる」
『1984年』より引用

全ての教育を終え党への愛のみを持つようになったウィンストンは、ジュリアと再会する。
同じくらい変貌した2人は、再会を約束する。
「いつかまた会おう」と。

いつものバーで、いつものジンを飲みながら、戦争に勝利したことをテレスクリーンから知らされたウィンストン。
喜びに震える彼が最後に向かう場所は、夢で見た明るい場所であった。

二重思考についての考察

それでは、私が最も惹かれる二重思考について考えます。

二重思考とはなんなのか?

二重思考についてwikipediaでは以下のように説明しています。

「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」である。作中の例でいえば、舞台となっている全体主義国家では民主主義などは存立しえない、という事実を信じながら、なおかつ、国家を支配する「党」が民主主義の擁護者である、というプロパガンダをも同時に信じることを指す。
サイト 二重思考 – wikipedia

つまり、先ほどの「2+2=5」は二重思考を最も端的に表現した事例です。
ウィンストン(というか登場人物すべて)は、「2+2=4」であることを理解しています。
これは事実であり、算数を知らなくても2個のリンゴが入ったカゴに2個加えたら4個になることは実生活で経験しているからです。

しかし、党は経験による思考を許してはいません。
党が言うことが絶対であり、それ以外のことは考えることすら許されない世界だからです。
党は「2+2=4」であることを理解した上で、「2+2=5」であると主張します。

あなたならなんと答えますか?

まっすぐな方は「2+2=4」と主張するでしょう。
しかし、小賢しい私は間違っていることを知りながら、「2+2=5」と答えます。
「2+2=4」では拷問されるので、普通の方も「2+2=5」と答えるようになると思います。
もちろん、間違っていることを理解しながら。

党はこれを許しません。
二重思考とは、「2+2=4」とわかっていながらも「2+2=5」と信じなければいけないからです。
左右の手で2本ずつ指が立てられていたら、あわせて5本に見えなくてはならないのです。

生活するすべてのことに対して二重思考を強要される社会の異質さをイメージしてもらえたでしょうか?

二重思考を他人に強要することは可能か?

可能です。

もちろん並大抵の努力(?)ではありません。
作中でも、言語を削ることで党にとって有利な事しか考えられないようにしていますし、本能を押さえつけることでストレスをかけヒステリー状態に維持させています。

ヒトが何かを考えるときに言語化して整理する必要がある以上、心のモヤモヤを表現する言葉を知らなければ深く理解することができないのです。
本能からくる欲望を満たせないとき、ヒトは大きなストレスを感じます。
思春期みたいに。
あまりに強いストレスを与えられ続けると、簡単にヒステリーになってしまう精神状態になります。
我慢し続けたヒトがヒステリーを簡単に起こす描写は、ドラマでよくみますね。

これ以上はないってくらいに不安定な精神状態になってしまったヒトは、安定なモノ・みんなが信じているモノにすがるようになります。
敵を憎悪し、党だけを信じるようになってもおかしくはありません。

「溺れるものは、わらをも掴む」

ことわざ通りです。

さらに、作中では党はすべての経済活動の成果を二重思考を信じさせることに投資しているように感じます。
ウィンストンを教育するのに高級官僚が7年以上つきっきりです。
国民は平均寿命が60歳になってしまうほどキツい労働をしていますが、配給は減る一方です。

賢いヒトが国中の資産と権力を教育に投資すれば、二重思考をヒトに強要することも可能だと考えます。

私たちは既に二重思考をしている

人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない
ユリウス・カエサル

この言葉も、ある意味では二重思考ではないでしょうか?
自分による自分のための二重思考です。

現実には目の前にあるモノも、見ようと思わなければ見えないのです。

助けようと思わなければ、困っている人を見つけられません。
本当に困っていなければ、失くしたものも見つかりません。

本当は、目の前にあるのに。

人は意識せずとも二重思考をしています。
むしろ、意識していたら二重思考とは言えないかもしれません。

常に二重思考を行なっている私たちは、二重思考を強要されやすいと言えるでしょう。

まとめ

『1984年』は、とても考えさせられる小説でした。
また、ストーリー自体も面白かったです。

とてもお勧めしたい小説なのですが、少し難しいも感じました。
特に全体主義についての知識が無いと、読みにくいと思います。

そんな時は、『動物農場』を先に読むと良いでしょう
同じテーマで同じ作者が、動物たちを主役に書いた寓話です。
『1984年』が悲劇なのに対して、『動物農場』は喜劇です。
読みやすくて、『1984年』を理解する上で助けになる本でした。

Camel

こんな人間が書いています。
プロフィール

スポンサーリンク
レクタンブル(大)

『【ネタバレ】小説『1984年』のあらすじと二重思考の考察』へのコメント

  1. […] 「二重思考」については、らくださんの『【ネタバレ】小説『1984年』のあらすじと二重思考の考察』をご覧ください。とても丁寧な分析を読むことができます。 […]

    • 名前:motomotocamel 投稿日:2017/02/14(火) at 21:47:46 ID:b326c7e38 返信

      ぱんたれいさん、コメントありがとうございます(´∀`)
      かなり興味深い内容だったので、力不足ですが頑張って考察してみました。