2017/08/1611 Shares

『動物園にできること』の感想。ゾクゾクするほど面白い! 動物園の裏側と実態

Camel

どうも、一人で平日の動物園に開園から行くくらいに動物が好きなラクダ@motomotocamelです。

本日は、『動物園にできること「種の箱舟のゆくえ」』という本について紹介したいと思います。
普段見られない動物が観察できることが動物園の良さだと考えていた私ですが、この本を読んで動物園に対する新しい視点を得ることができました。
動物が生息していた環境に似せた展示をするランドスケープ・エマージョンや動物の習性を活かしたエンリッチメント、旭山動物園が主導する行動展示、そして絶滅危惧種を保存するための取り組みなど、単純な展示以外にも力を入れているのだと知りました。
日本とアメリカの動物園運営の差、人工繁殖への捉え方、教育への関わり方などは想像したこともありませんでした。

動物園の新しい楽しみ方を発見できる本 川端裕人著『動物園にできること「種の箱舟のゆくえ」』は読み終えた時にゾクゾクするほど面白い本でした。

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感想

色々と考えさせられる本でしたので、引用しながら感想を書いていきます。

「つまるところ人間は愛するものしか護ろうとしない。理解できるものしか愛そうとしない。そして、知っているものしか理解しようとしない」
動物園はわれわれが護るべき動物について知る場所であり、知ることによって動物を理解し、愛し、護るためのきっかけを与える場所だという主張だ。
動物園が社会のなかで果たすべき役割についてのブロンクス動物園なりの解釈である。

ニューヨークにあるブロンクス動物園という世界災害規模の動物園にあるモニュメントに記載された文章です。
原住民の賢人の言葉だそうで、ブロンクス動物園が掲げる動物園のあり方を表した言葉として、目玉の一つであるゴリラの展示の終わりにモニュメントがあるそう。
アメリカではアニマルライツといった動物保護への関心が高く、ともすれば動物園は非難の的になりやすい。
こういった社会情勢から、アメリカでは動物園は教育方面へ力を入れているそうです。
護るために理解する、そのための動物園というのはこれまで考えたことのない意見だと思います。

こういったことは国連の下部組織であるIUCN(世界自然保護連合)が1980年に発表した「世界環境保全戦略」のなかの「野生動物を飼育・展示するための原則と勧告」で述べられている動物園の意義の「公式見解」でもある。
要約すると、動物園の役割は「野生動物の繁殖」と「環境教育」の二点であるというものだ。

IUCNという組織についても初めて知りましたが、国連の下部組織が動物園の意義について見解を出していることも初耳でした。
日本で暮らしていると(?)、このような話は中々動物園に行っても見ない気がします。
掲示物とかは結構読み込む方なんですが。
動物園の役割としてあげられている「野生動物の繁殖」と「環境教育」ですが、日本の動物園は先進国に比べて弱いそうです。
アメリカの動物園が行なっている学生を対象としたキャンプなど、日本でもたくさん行なってくれると、親としても嬉しいですね。

たとえば、動物の人工繁殖技術をあえて擬人化してみる。
人工授精とは、自分が見ず知らずの男性の精子で意志に反して身ごもらされることだし、異種間の胚移植とは、人間以外の動物、たとえばチンパンジーやゴリラの受精卵を本人の意志とは関係なしに着床させられ、その子どもを産み落とすことである。
これらはどう考えても人間の世界では受け入れられないことだ。
つまり、動物園の人工繁殖はこういった考えようによればグロテスクなことを、種の保存の旗の下に行っていることになる。

この考え方は著者も書いている通り、かなりグロテスクな例えでした。
人間を主体とせずに種の保存を考えるのであれば、絶滅が危惧されているチンパンジーやゴリラの子供を人間が代理出産するという考えもありえるのかもしれません。
映画のテーマとしてなら面白いかも。
ヒトに置き換えると随分と気持ち悪いことを、動物に押し付けていることは動物園に限らず多くあるのだろうと思います。
この全てを否定して動物を絶滅させるか、ある程度許容して種の保存に奔走するのか、どちらがいいかはわかりません。
ただ、私はグロテスクな方法でも、種の保存や品種改良のために努力する考え方が好きです。
人間主体の環境保護だと理解しながらも、やる価値があると考えます。

『欲望の植物史』という本を読むと、人間の欲望を叶えることで種の繁栄を築くという視点で、植物の品種改良について考えられるようになるのでオススメです。

子供たちへのメッセージ

「子どもたちに環境危機の抑鬱的なメッセージを与え続けることで、子どもが環境問題を正しく理解し、環境に優しい生活スタイルを選び、環境問題に熱心な政治家に投票する大人に成長するってわたしたち動物園人はずっと期待してきたけれど、必ずしもそうではないみたいなの。
自分たちにはどうしようもないことを教えられて無力感にさいなまれるうちに、子どもは環境問題を無意識のうちに無視しはじめるのよ。
そうならないためにするにはどうすればいいかというのが、今回の子ども動物園の改装の原点なのね」

これは環境問題だけではなく、あらゆることに当てはまることなんだと思う。
自分にコントロールできない問題には積極的になれないのは大人も同じだけれど、子どものうちから抑鬱的なメッセージを与え続けられたなら無関心になってもしょうがない。
ナポレオン・ヒルの書いた本『悪魔を出し抜け!』で、聖職者や教育者を批判しているのも同様の理由だった。
好きの反対は無関心ということなんだと考えた。

遠くの環境を護ろうとする気持ちの根源は、近くの自然で遊んだ経験

「彼らの多くは小さい頃に、親や兄弟といった指導者と一緒に、安心できる環境で森や川で遊んだ経験を持っている人たちだったの。
そのことを通じて、地元の自然に触れ、情動的な部分で一体感を感じるようになることが、後に熱帯雨林や遠くの湿地も護りたいという情熱につながっていくというのではないか、それがわたしたちの今の仮説なの。
つまり、まだ小さな子どもに必要なのは環境破壊についての知識ではなくて、むしろ、自分たちがその中に入って遊べる自然環境ってこと。
情動的な部分で自然と結び付くことが大切なのね」

たしかに、私が動物が好きなのも獣医になりたいと思ったのも、もともとは近所で飼われていた犬と遊んで楽しかったからだ。
ラッキー可愛かったし。
まずは楽しんでもらい、好きになってもらう。
こうすることでファンとして護ってもらうという考えは、自然環境だけでなく他にも応用ができる。
メディアなども同じだろうな。
子どもには好きな事が沢山になるように育って欲しいと思う。

子どもに伝えるべきメッセージは、その動物の素晴らしさ

この考えをこの動物園では展示解説の分野でも取り入れつつある。
ボランティアの解説員に「小さな子どもにはその動物が絶滅の危機に瀕している」ということは伝えなくてもよいと指導しているのだという。
たとえば「ユキヒョウが絶滅するかもしれない」と言う代わりに、「美しい動物でしょう」と言ってあげたほうが良い。

大人でも、「この動物は絶滅危惧種だから護ろう!」と呼びかけられても、身近な動物以外では響かない。
子どもではなおさらだろう。
「こんな素敵な動物がいるんだよ」
まずはここから始めて、動物を知ってもらい、愛してもらわないと護れない。
賢人の言葉を借りるなら、こういう事なんだろう。

アニマルライツは動物愛護とは違う。むしろ人権に近い

動物の権利、アニマルライツというのは、「動物愛護・福祉」とは違う。
日本では混同される場合が多いが、少なくとも運動に携わる人々は自分たちの活動は「動物愛護・福祉」と一線を画すと信じている。
彼らは、その名の通り、個々の動物が「基本的人権」と同等の「基本的動物権」を持っていると信じており、農場の家畜や研究室の実験動物などに反対する。
「愛護・福祉」系の活動家は、まず人間の利益を担保した上で、動物たちの待遇の改善を求めるが、アニマルライツは家畜や実験動物そのものの存在を否定する。
具体的にいえば、「愛護・福祉」は化粧品のための動物実験には反対しながら、医学目的の動物実験には比較的寛容で、すべての動物実験を否定するアニマルライツと対照的だ。
また「愛護・福祉」は農場動物の生活の質や屠殺の際の方法が可能な限り「人道的」(人の倫理にかなうものであるという意味で)であることを望むが、アニマルライツは農場動物を認めず、ほとんどがベジタリアンだ。

駅にいる毛皮を反対している人たちはどっちなんだろう?
動物愛護かアニマルライツか、外から見たら同じように見えていたけれど、随分と違うんだなぁ。
同族嫌悪でお互いをいがみ合いそうな間柄にみえる。

動物園は問題定義だけでなく、解決策も示すべきか

やはり、ティムが言うとおり、アメリカや日本といった「豊か」な国は、現在絶滅が心配される動物がいる棲息地の国々に比べて多くの物資やエネルギーを消費し、より多く種の絶滅に荷担していることに間違いない。
近くの自然も遠い国の自然もその影響を受ける。
「熱帯雨林の伐採の事実を問題提起したら、その原因とアメリカ人の関わりについてちゃんと分析して伝える。
そして、寄付を募って対症療法的に個々の動物を助けるためのプロジェクトを組むだけではなくて、人間がもう少しこの地球の上で他の生き物たちとうまくやっていけるようなライフスタイルを提案していく……
それが本来動物園にできることだと思わないか?」

解決策が1つではないから、動物園には難しいと思う。
ライフスタイルの提案をテーマとした動物園があれば可能かもしれないが、スポンサーと入園料が収入源である普通の動物園には難しいだろう。
より消費しないように、より不自由な生活を提案してくる場所には人は集まりにくいだろうし。
エネルギーを消費して遠くから動物を運び、無理やり環境を整えて動物を飼育している動物園という存在自体が否定される自己矛盾に陥りそう。

日本の動物園が抱える根本的な問題は、トップが専門家になれないこと

「日本の動物園は専門家集団じゃないんです。それが問題です。
たいてい地方自治体が所有しているから、園長は数年ごとに腰掛けでやってくる。
それが諸悪の根源で、組織というものはトップの能力以上のものにはなりえない。
いまだに『動物園は市民の娯楽の場であり、環境保護や種の保存など考える必要ない』と公然と言う園長がのさばっている。
これじゃあ、アメリカの水準にはいつまでも追い付けません」

「アメリカの水準に追いつく必要があるのか?」というつまらない疑問は置いておく。
同じ施設であるのであれば、グローバルスタンダードとしての評価を高める努力は必要だろう。
園長が変わってしまうのが問題であるならば、園長が変わっても変わらない軸が必要なんだろうな。
国が規定してあげないと上手くいかなそうなのが、なんか残念。
運営を司る園長と展示方法などの軸となる副園長(長期間いれる人)みたいな組織にすればマシなのかもしれないなと考えた。

日本の動物園が世界から遅れている点は、教育への利用

動物園教育の専門部会では、「動物園が教育を専門とする部署を持つべきとのコンセンサスがない」「環境教育が大切であるという自覚が共有されていない」などという問題点が指摘された。
これが意味するのは、世界的には1980年以来、常識になっている「動物園の存在意義は、種の保存と環境教育」というテーゼの片輪が日本の動物園では欠けたままだということだ。
学校教育の中で動物園を利用してもらうべきという勧告も出され、日本の文部省に対して、その勧告の内容を報告することになった。

これはもっともっと推進してもらいたい。
動物園を教育の場に利用するのは、動物園にとっても学校にとっても有意義になるだろう。
というか、私が参加したい!
夜のキャンプとか、すっごく面白そうだから家族で行ってみたいなー。

日本流に魔改造された飼育方法

結局、ランドスケープ・イマージョンはその核心の思想の部分は日本にはそれほど大きなインパクトを与えず、エンリッチメントは日本流やり方で定着しつつある、というのがぼくの今の認識だ。
一時は混乱もあり、また、時間もかかったけれど、我が国の動物園社会が、自分たちの社会文化的な背景の中で合理的な判断をして、新たな「道具」を取捨選択して取り入れたと評価して良いと思う。

ランドスケープ・イマージョンは日本語にしにくいけれど、生態的展示と訳されているっぽい。
柵を無くし堀にして、人工物に見えないような木々を置く展示方法で、その動物が生息する地域に行ったように錯覚できるように作られている。
天王寺動物園やよこはま動物園ズーラシアが有名どころかな。
ランドスケープ・イマージョンは土地面積の関係上難しい園が多いんだと推測できる。
面白そうだけど、お金もかかるし尻込みをしそう。
遠くにある環境を護ろうという教育へは有用そうだけど、日本では教育への観点は弱いらしいし。
天王寺動物園のランドスケープ・イマージョンは観てみたいな!

天王寺動物園サバンナゾーンとランドスケープ・イマージョン

エンリッチメントについてはウィキペディアに解説があった。

環境エンリッチメント(英: environmental enrichment)は、飼育動物の正常な行動の多様性を引き出し、異常行動を減らして、動物の福祉と健康を改善するために、飼育環境に対して行われる工夫を指す。飼育動物の福祉を向上させるもっとも強力な手段の1つとされる[1]。
サイト 環境エンリッチメント

草の根活動で行えるから、日本人は得意そう。
日本では、昔から飼育員による工夫はされていたらしいけど、それを体系的にまとめて発信していなかったらしい。
アメリカは発信するの得意だよね。
だから、エンリッチメントっていう名前がついてブームにできたんだと思う。
餌やりや遊具など、エンリッチメントで活動的になっている動物はイキイキしているし、見ていて面白い。
それが日本流に魔改造されているってことだから、日本人らしいと思う。
ちゃんと世界に発信したら、世界中の飼育員に喜ばれると思う。

日本人とアメリカ人の違い。アメリカ人は二者択一で両方取れるように努力する。日本人は片方をばっさり切り捨てる

ぼくはアメリカの小さな動物園の園長に、こんな意地悪な質問をしたことがある。
もしも、予算が限られているとして、リアルだけど動物には利用できないコンクリート製の擬木を作ってイマージョン展示としての体裁を整えるのと、同じ予算をつぎ込んで見栄えは悪いけど動物が利用しやすい仕掛けを作ってあげるのではどちらを選ぶべきか――。
回答は、「両方」だった。  
つまり、来園者や地域社会で寄付をつのって「見栄え」と「使い勝手」を両立することを目指す。
それができないようなら、新しい展示を作らない。

もしも、ある動物園がチンパンジーの展示を刷新しようとしており、かつ、予算が限られていたとしたら、今や二つの選択肢が我々にはあることになる。
チンパンジーのためにできるだけ高いタワーを立てるか。
それとも、見栄えを重視して、低い擬木(高くするとコストが上がる)にするか。
アメリカ人はきっと寄付を募るのだろう。
そして、「ぼくらの動物園」はむしろ見栄えを捨ててタワーを建てる。

これは面白い比較だと思った。
確かに私だったら高いタワーを建てるだろうと思う。
木々で遊んでいるチンパンジーと同じくらい、ロープで作られたタワーで遊ぶチンパンジーも魅力的だと感じるから。
こういうところもランドスケープ・イマージョンが日本で流行らない理由なのかな。
でも、アメリカ人の考えたかも好き。
中途半端なものを作るくらいなら作らない。
こういった割り切りができないから、使われない箱物が増えるのだと感じた。
一長一短だけれども、トップはアメリカ人の、作業員は日本人の考え方だと上手くいきそうかな。

旭山動物園が面白い理由は、飼育員が何を見て欲しいか考えるところからスタートするから

旭山動物園では、「現場」の飼育係など動物に直接かかわる者が、来園者に何を見てほしいかを考える。
「ぼくが・わたしが、担当している動物はこんなにすごいんだぞ」というのをいかに分かってもらうか、というのが原点だという。
そこから始まって、野生動物であることが家畜やコンパニオンアニマルとどう違うのか、いわば野生生物としての尊厳、あるいは、彼らと共存していくためには我々はどうすればいいのか、といった自然保護的な思考へと誘うことを目標に置く。

やっぱり、好きな人が好きな物の好きな所をアピールするのは、熱量もあって面白い!
上野動物園も変わり出しているらしい。

エンリッチメントとハラスメント

実際、動物の活き活きした活動を見せる行動展示は、「活き活きしてもらってなんぼ」なので、エンリッチメントとの親和性は高い。
にもかかわらず、動物たちの活き活きした姿を見せることが必ずしも動物福祉にかなわない局面だってあるわけだ。
どんなエンリッチメントであっても、程度を越えればハラスメントになるし、また、極端な例だが、かつて行われていたような過酷なスケジュールの動物ショーなどは、動物たちが活動的にみえるからといって、動物たちがハッピーであるわけではない。
「見せる」ことと「健全に飼育する」ことの間には、本質的な緊張関係があり、それはおそらく決して解消されることはない。

エンリッチメントが行き過ぎると見世物小屋になってしまう。
境目は誰が決めるのだろう?
計画している側は悩むだろうな。
こういうのはヤル気があってマジメな人ほど悩んでしまう問題なんだと思う。
自分の中での落とし所を見つけるためには、その動物の生態を勉強するしかないんだろうな。
好きな物について調べるのは楽しいから、苦にはならないのかな?
それとも、やっぱり辛いのかな?
疑問は尽きない(^^;;

来園者の抱える問題。猛獣は可愛い?

彼もまたジレンマの中にいるのだ。
彼が創り上げてきた行動展示群はとても魅力的で、多くの来園者を引きつける。
しかし、その際に、来園者たちが動物たちから受ける印象が、やはり「かわいい」なのである。
これは同じ展示に30分ほど滞在して、人々の会話に耳を澄ませば分かる。
ペンギンやアザラシはもちろん、「猛獣」であるヒョウやホッキョクグマを観ても、頻出する言葉は「かわいい!」。
ユキヒョウの足裏の肉球を触りたくて、つい手を伸ばしてしまったグループが複数いてひやひやさせられたりもした。
この人たちは、この力強い肉体を見ても、どうやら家猫と同じくらいにしか感じていないようだった。
うがった言い方をすれば、来園者の多くは、動物園側が差し出そうとしているメッセージを、自分自身がすでに持っている犬や猫相手の「ペット体験」に回収してしまう。

アニメ『しろくまカフェ』を観ていると、シロクマやグリズリー、パンダなんかも安全で可愛い動物に見えるもんなぁ。
クマ類なんて本当は怖いのに、キャラクターになると可愛らしさしかないよね。
例に出すくらい『しろくまカフェ』は好きだけど、アニメやキャラクターにし過ぎると見たままの動物に感動できないかも。
なんか、キャラクターと比較しちゃいそう。
そういう楽しみ方もありだけど、可愛いだけではもったいないよね。

動物園の動物は産まれるより死ぬほうが多いという事実 と想像したことがなかった自分にショックを受けた

動物園がただ「楽しむ」ためだけの場所なら、「死」についての情報など不必要だ。
これまで通り、伏せておけばいい。  
しかし、これから先はどうなのだろう。
「種の保存」について一通り考えをめぐらせ、「何を伝えたいのか」を自らに問いかけ、展示と飼育にメッセージを乗せていくはずのこれから動物園は、動物園での動物の死についてこれまで同様、口を閉ざしていて良いのだろうか。  
正直に言って、ぼくにはよく分からない。動物園はまず子どもたちにとって楽しくあるべきだし(楽しい体験なしに形作られる動物たちとの共感、などきっとないに違いない)、かといって、死について隠蔽するのはきれい事すぎる。いずれにせよ、動物園側だけがこのことをひた隠しにする時代ではもはやなく、「外部」にむけて、つまり、社会に向けて、なんらかの形で、野生動物を飼うことの責任と意義を問いかける時期に来ているのだろう。その極端にして過激な形式が「赤パネル・青パネル」なのだといえる。

牛乳を搾れるのは出産後の牛だけだから、全国のミルクが出回っているだけ子牛が産まれているって聞いた時と同じくらい、考えてもみなかった事実に驚かされた。
識別していないから気がつかないだけで、同じ数いる動物達も同じ個体だとは限らないんだ。
当たり前のことなのに言われるまで気がつかないことってあるんだと、この歳になっても知れてよかった。
賛否両論あるだろうけれど、私は賛成です。

本の詳細

内容(「BOOK」データベースより)
動物園は絶滅危惧種を救えるか?大自然から切り離された動物たちは幸せなのか?動物園先進国アメリカでのルポルタージュを通じて、子供たちの夢をはぐくむ娯楽施設の裏に隠されたフィロソフィーを探る、新感覚フィールドワーク。日本に於ける最新事情を加筆した“動物園を知るためのバイブル”最新版。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
川端/裕人
1964年兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。東京大学卒業後、日本テレビに入社。科学技術庁、気象庁の担当記者を経て、97年に退社、フリーランスとなる。98年『夏のロケット』で第十五回サントリーミステリー大賞優秀作品賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

1999年に書き下ろされた初版、2006年に日本の動物園について追加された文庫版を全て収録した上で2017年の情報を追記した第3版。
今読むのであれば、Kindle版に第3版がオススメです。

章立て
序章 走り回る子どもたち
1 アトランタの荒ぶるゴリラ
2 風景に浸し込め
3 イッツ・ア・ジャングルワールド
4 動物たちの豊かな暮らし
5 幸せなクマさんをさがして
6 ゾウ使いの言い分
7 方舟の乗客たち──種の保存計画をめぐって
8 野生復帰の夢
9 ハイテク・カウボーイたち
10 動物園を出よう! 森へ行こう!
11 ライオンから学ぶこと
12 小さな町の動物園
13 ブロンクス裁判
終章 ぼくらの動物園
それからのぼくらの動物園(文庫版新章)
復刻版のための簡単なあとがき

まとめ

久しぶりに、読み終わった後にゾクゾクするほど面白い本に出会えました。
あなたにも読んでいただきたい1冊です。

Camel

こんな人間が書いています。
プロフィール