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30代男性の魂を震わす小説『光圀伝』のあらすじと感想

Camel

どうも、水戸黄門はいやらしい言葉だと思っていたラクダ@motomotocamelです。
みなさんも子どもの頃は思いましたよね?

本日は、冲方丁の『光圀伝』について紹介したいと思います。

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『光圀伝』ってどんな本?

『光圀伝』は、水戸黄門で有名な徳川光圀の生涯を書いた小説です。
映画化された『天地明察』の作者である冲方丁が2012年に発表した時代小説で、『天地明察』と対をなす作品です。

公式サイトでは以下のように紹介されています。

なぜ「あの男」を自らの手で殺めることになったのか─。老齢の光圀は、水戸・西山荘の書斎で、誰にも語ることのなかったその経緯を書き綴ることを決意する。
父・頼房に想像を絶する「試練」を与えられた幼少期。荒ぶる血を静めるために傾奇者として暴れ回る中で、宮本武蔵と邂逅する青年期。やがて学問、詩歌の魅力に取り憑かれ、水戸藩藩主となった若き“虎”は「大日本史」編纂という空前絶後の大事業に乗り出す─。
サイト 内容紹介 – 光圀伝 Official Webサイト

幼少期に抱く「父から愛されていないのではないか?」といった悩みや兄弟との確執、自由にならない青年時代の鬱憤、近しい者たちとの別れの悲哀、事業の失敗と成長、そして子どもたちへ夢を託す父としての姿に30代の男性として、魂が震えました。

徳川光圀について前知識は全然ありませんでしたが、それでも一気に読みきってしまうほど入り込んでしまった小説です。

あらすじ

幼少期

徳川家康の11男である徳川頼房を父に持つ、徳川光圀が主人公である。
家督を継ぐ世子(せいし)であり、世子であることを意味する子龍と呼ばれている光圀であるが、父・頼房からは幾度となく危険な目にあわされている。
家督を継ぐのに相応しいかを確認するために行われる「お試し」だが、その夜も光圀は頼房から「お試し」を命じられた。

「日中に処刑した男の首を、1人で森に入って取ってこい」

今夜の「お試し」は光圀にとって楽なものであった。
首を持ちながら昼間に見た能を真似る余裕があったし、考えていることは「首を何に使うのか?」ということだけであった。
長年の「お試し」によって、光圀はこれほどのことでは怖がらない子供になっていたのだ。

よほどのことでは怖がることのない光圀だったが、1つだけ拭えない恐怖があった。

「父から愛されていないのではないか?」

こう思うと身が震えるほど恐ろしかったし、思わせるような態度を頼房はとっていた。
頼房は子どもに笑いかけることはなかったし、全ての子どもたちは正妻の子ではなかったのだ。
いつ光圀は世子でなくなるかわからない。
光圀にとって父からの「お試し」を乗り越えることだけが、世子であり父から期待されていると思える唯一の救いだった。

光圀が自らを世子だと自信を持てない理由はもう1つある。
光圀には同母兄である頼重がいたのだ。

「なぜ同じ母から生まれた兄がいるのに、弟の自分が世子なのだろうか?」

年長者が世子となることが正しいとされる世の中で弟の自分が世子であるという疑問が光圀を悩ませる。

「なぜ自分なのか?」

「俺が世子だ!」

2つの気持ちを揺れ動く幼少期の光圀は、兄・頼重にぶつかっていく。
答えのない悩みからくる苛立ちをぶつけるように。

青年期

青年になった光圀は虎のような偉丈夫に成長する。
父・頼房譲りの恵まれた体格と力強さ、水戸一と言われた母譲りの美貌を兼ね備えた光圀は、外見だけをとっても世子としての地位を確立していた。

しかし世子としての立場が光圀を縛りつける。
屋敷から自由に出歩くことは許されるようになったが、それでも共を連れ、監視されながらの外出である。
若い光圀には耐えられることではなかった。

有り余る体力と鋭い知性で監視の目を掻いくぐることを覚えた光圀は、深夜に傾奇者として出歩くようになる。
名前を変え、身分を偽って遊ぶことは光圀にとってかけがえのない幸せな時間であった。

そんなおり、久々に「お試し」が行われることとなった。
壮健な光圀をも恐怖させる「お試し」であったが、無事乗り越えた光圀は脇差を帯刀することを許される。
光圀にとって帯刀を許されることは、武士として認められた証であった。

夜遊びを続けていた光圀であったが、仲間に裏切られて罪の無い人を脇差で斬ることになる。
はめられている事に気が付いた時には引き返せない状況であった。
気がすすまないまま斬りつける光圀であったが、相手が逃げ惑うため上手く斬ることができない。
大切な脇差も刃こぼれしてしまい、罪の無い人を自尊心を守るためだけに斬りつけている状況に苛立ちを覚えていた時、老兵法者と出会った。
老兵法者は死に切れないまま苦しむ罪無き犠牲者にトドメをさす。
それは光圀が見たことがないほど、美しいトドメのさしかたであった。

光圀は老兵法者とその友人の老和尚に学び、自分の生き方を定めていく。

「太平の世に自分はどう生きていくのか?」

光圀は詩文の天下を目指すこととなる。

激動の30代前後

30代前後は光圀とって激動の時代となる。
侍女との間に子どもができるが、光圀は大義のために流産させることを指示する。
2年後の1654年には公家の娘である泰姫(たいひめ)と結婚するのだが、これも光圀の大義には邪魔となる。

光圀の見出した大義とは、「兄の子に水戸の藩主を譲ること」であった。
そうして、水戸の血筋をあるべき姿に戻すことが光圀にとって生きる目的となったのだ。
婚姻や出産は光圀の大義とは相容れないものと考えられる。

しかし、光圀にとってどちらの出来事もも大義とは反対の方向へ動くこととなる。
侍女との子どもは兄のもとへ預けられ、泰姫との結婚はつつがなく進むこととなった。

周囲の助けを借りながら大義のため、詩文の天下のため、藩主としての務めを果たすために忙しい日々を過ごす光圀であったが、江戸城内に大火事が起こる。
後世では明暦の大火と呼ばれるほど大規模火災によって、江戸の町は荒廃してしまう。

衛生環境が悪化し、江戸城内は疫病が蔓延した。
光圀にとって最も頼りになる伴侶となった泰姫も、赤痢にかかり21歳で病没してしまう。
6年という短い結婚生活であった。

その後、父の死によって藩主となった光圀は立て続けに起こる災害の対応に忙しく駆け回る日々をおくる。
これまで自ら動くことで問題を解決してきた光圀にとって、部下に任せるということはもどかしいものであった。
指示し、あとは信じることしかできない現状に悩みながらも、光圀は次世代の育成を考えるようになる。
自分の寿命では達することのできない目標を託すために。
兄から養子として迎えた息子の姿を見ながら、光圀は自分の死後も未来は続いていくことを確信する。

隠居後

息子に家督を譲り、隠居の身になった光圀は水戸藩内で市民と交わるようになる。
米俵に座っているところを老婆に薪で叩かれたりと、ドラマ『水戸黄門』のような生活をおくっていた。
自分の天下と同様に自らの一大事業として起こした『大日本史』がひと段落ついたことを知り喜ぶ光圀であったが、さらに近しい友人や部下の死にも直面する。

やれることは全てやった。
こうして光圀の人生は幕を閉じた。

感想

「自らの人生は死者を弔うためにあるのか?」

いくつもの葬儀を取計らった光圀がこぼした言葉です。
光圀は父・母・妻・息子の葬儀を30代で行いました。
これ以外にも公私にわたって支え合える友人も早くに亡くしています。

私が最も心揺さぶられたのは、泰姫が病気で瘦せおとろえ、最後には亡くなってしまうところです。
私が妻を亡くした時と、ちょうど同じくらいの年だということもあります。
それ以上に、死を受け入れようとしている妻へ、どのように接するのが正しいのか悩むところに共感しました。

残った体力と気力で必死にたてた死への決心を、自分の言葉で揺るがしていいのか?

それとも自分の気持ちを正直に、「生きて欲しい」と伝えるのが良いのか?

正解はわかりませんが、私は死を受け入れることを肯定しました。
生きてきたことを、そして死ぬことを後悔しないように。

小説の中の話ですが、光圀も同じように悩みます。
そして、相手が辛くなることを理解しつつも「生きて欲しい」と伝えます。

未だに何が正しいのかは分かりませんが、悩むことが間違っていないことは自信を持って言えるようになりました。

また、再婚し子どもをもうけたことで未来を託すという気持ちも理解できます。
自分のできなかったことを子どもにやらせるってことは考えていませんが、自分のやってきたことが子どもを通して孫やその子どもにも伝わっていけば嬉しいなと思います。
今はインターネットがあるので、データの保存がしやすいですしねw
このブログも残っちゃうかもしれません(´∀`)

まとめ

今回は、朝井まかてさんの『恋歌』を読んだ勢いで、水戸つながりの『光圀伝』に手をつけました。

水戸藩の礎となり、水戸学の基礎を作った徳川光圀の話なだけあって、『恋歌』に出てくる藩士たちの思想に通ずるものを感じました。
幕末の水戸藩士たちも、大きくくくれば光圀の子どもたちなんでしょう。

大日本史の編纂や石高以上の見栄を張ったせい水戸藩は常に財政難でした。
これも光圀の残した爪痕でしょう。
いい意味でも悪い意味でも、江戸前期に生きた徳川光圀が幕末まで影響していることに気がつきました。

偶然ですが、『恋歌』も『光圀伝』を和歌が重要な役割を果たしています。
ちょっくら古今和歌集でも買って、和歌の基礎でも学んでみようかなと思った春の日でした(´∀`)

あらすじは面白い部分をほとんど書いていないので、実際の『光圀伝』は私のあらすじの10倍は面白いですよ。
スーパーマンな水戸黄門に興味が湧いた方は、ぜひ読んでみてくださいね。

Camel

こんな人間が書いています。
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