プロフィール

Camel

ブログ名とハンドルネームが決まらないままグダクダしてましたが、ブログ4ヶ月にしてようやく決めました。

ブログ名がモトモトキャメル。
ハンドルネームがラクダにします。

はじめまして!
モトモトキャメル(本ブログ)を管理するラクダです。面白そうと思った事・物に飛びつく癖があります。これまでは1人で楽しめれば良かったのですが、結婚し子供ができたことがキッカケとなり周りと経験を共有したくなりました。というか、子供の自慢がしたいだけですね。親バカです。

また、大人になってから友達がもっと欲しくなりました。インターネットを通して、匿名でも構いません。私とは違う経験を重ねた方たちと話すことで、異なる価値観があることを認識できる場を作りたいです。そうして、1人でも多くの友達を作れればと思っています。

自分の中にある幸せで暖かく、寂しいけど大切な思い出について話せる日が来るように、もがいていこうと思います。ブログの中で書き終えれば、現実でも話せるようになるかと期待してます。リハビリに近いかな。これを書くだけで泣きそうなんで、先は長そうだ。

筆者のプロフィール

キャメル
ラクダさんでも、キャメルさんでも、好きに呼んでくれ。

【出身】東京生まれ→9回の引越し→埼玉在住(幼稚園、小学校、中学校で転校してます)

【性格】「普段は目立たないけど、やる時はやるよね」って言われました。懐中電灯みたいです。陰口は言ったことないですが、陰で言えばいいことを本人に言ってしまうだけです。

【職歴】薬剤師免許持ちつつ、メーカーで微生物関係の技術職をしています。過去には、薬剤師、塾講師、家庭教師、チラシのデザイン作成、コンビニスタッフ、生肉工場、漫画喫茶の設営、クレジットカードの勧誘といったバイトをしてました。

【趣味】面白そうと思ったことを、とりあえずやってみること。ワインの試飲会に行ったり、女性・子供禁止の居酒屋に行ったり、台湾一周したり、地中海クルーズに行ったりしました。

【目標】エスプレッソ専門のお店を出すこと

【家族】妻と娘が1人になる予定

【好き】動物、森、湖、海、船(特に帆船)、←これらの写真撮影、戦国物、実験、料理、トイレ掃除、贈り物をすること、(思いついたら追加)

【好きな本】欲望の植物誌、カイトランナー、死ぬ瞬間、犬の力、夜は短し歩けよ乙女、貧乏人のデイトレ金持ちのインベストメント、レミゼラブル、関ヶ原、(思いついたら追加)

【診断結果】

エゴグラム診断
https://motomoto-camel.com/lifestyle/resultofegogram20160724

【絵葉書を通した交流】
Postcrossingというサービスを使って、外国の方と絵葉書のやり取りをしています。
https://motomoto-camel.com/lifestyle/exchangesinpostcrossing

経歴を長めに

マイペースな小学生

小学生時代はかなりマイペースでした。
授業参観中にトイレ(大)に行ったり、我慢できずに森でしたり(大)、鍵を忘れた日にはトイレに行きたくて(大)壁を伝って2階に登ったり、同じく鍵を忘れた日には、近所の家からハサミを借りてトイレの網戸を切って入ったり(大)、漏らしたり(大)。
なんてマイペースな大腸!

男女同じくらいの友達がいた気がします。学校で遊ぶ時は男友達が多かったのですが、映画に行ったりとかは男女半々くらいだった記憶があります。一斉下校の時なんて毎回女の子と手を繋いでたんで、まぁまぁモテてましたね

途中で転校しましたが、転校先でも初日から友達ができ、今でもたまには会うくらい仲がいいです。向こうに遊びに行く時にホテル取ると怒られるくらい。泊まれってね。田舎から都会に引っ越したせいか、優しくて賢い大人な同級生が多かったです。身長も体重も小さかった私は弟のように見られていたのかもしれませんが、沢山の友達の家に遊びに行ってました。両親が働いていたので、友達の家で遊べてたことは嬉しかったです。

大人になった中学生

中学校では、部活を3つやりました。テニス部では球拾いが嫌いで行かなくなり、友達が多かったからと演劇部に入り、転校してサッカー部に入りました。途中から入ってもついていけず、サッカー部も行かなくなりましたけど。

中学生になり、男同士で遊ぶことが多くなりました。外で遊んだり、ゲームしたり。塾に通ってたのに、勉強した記憶がありません。宿題やらなすぎて、通知表で1つきました(10段階評価)
ゲームセンターにあった線で囲んだ部分だけ女の子が見えるゲームが上手かったので、友達がお金を出して私がやるってこともありましたね。順調に成長していました。

この頃になっても女の子と遊ぶのが好きで、部活中に話したり、みんなで肝試しをしたりしながら手を握ったりしてました。バレンタインのチョコも二桁はもらえていました。

そして、中2の終わりに転校。

転校後、数日で大人になりました。
転校先は田舎だったからか、付き合っている友達が多かったです。第二次性徴期の中学生、みんなさかってました。1人で慰める話やツタヤに大人コーナーがあることなんかも聞きました。そのような知識は中3になるまで知らなかった自分は、どうやらピュア過ぎたようです。

中3になり、私は大人になりました。

気がついちゃったんですよ。
今まで仲良くしてくれた女友達は、ただただ幼い自分を可愛がってくれていただけなのだと。チョコも弟にあげるような物だったのだと。

気が付いてからは早かったです。スーッと変わりました。翌日から友達に敬語で話しかけるくらい、スーッと大人になりました。

転校の時に貰った色紙に書いてあった、お猿のような私は、ピュアなまま消えてしまったのでした。

部活だけ頑張った高校生

大人になった私は、ようやく勉強を始めました。学ぶことはとても楽しいことですね、ようやく気がつきました。徐々に成績も上がり、ほどほどの進学校を視野に捉えることができました。選んだ理由は、友達が受けるからです。試験日当日、筆記試験は9割越えし、面接日を迎えました。しかし、待合室について気づいたのです。この学校のことを何も知らないと…
そこからは必死でしたね。近くにいた受験生に「この学校って、何で有名?」だとか、「なんでこの学校選んだの?」とか聞きまくりました。迷惑な話です。初対面なのに。

「受験が終わったら、何がしたい?」という質問に「柳田邦男のサクリファイスが読みたいです、途中なので」とか、中3が読まないような本をあげたおかげか、無事面接を終えました。いまだ読んでいません

合格発表は、父と2人で見に行きました。最寄り駅から高校までの道のりが分からずに、怒られながらタクシーに乗ってですが…

無事合格した私は、高校で弓道部に入りました。格好良かったからです。今でも遊ぶくらい仲の良い同期との部活は楽しく、放課後が待ち遠しかったです。To Heartの来栖川先輩にハマり、夜な夜なゲームをしていたせいで授業中は爆睡でしたが、部活は皆勤でした。お腹痛いって、体育(長距離走)を休んだ日も元気に部活に行くくらい好きでした。このサボりのせいで、3年間皆勤ではなくなってしまいましたが(笑)。 友人たちは仕事で日本各地に散りましたが、それでも機会を見つけて会うくらい仲良しです。

成績に関してはみるみる下がり、筆記試験1位から毎回赤点ギリギリだったり、0点を取るまでに。当たり前ですね、テスト勉強したことなかったのですから。私はKanonやらAirやらに忙しかったのです。

そんなこんなで高3の夏、初めて彼女ができます。ギャルゲで覚えたマメさと的確な褒め言葉、頼り甲斐のあるアドバイスを駆使した結果です。この成功体験で、私の頭は未だにギャルゲ脳かもしれません。

そして、大学生受験に全滅します。

一番遊んだ予備校生

めでたく予備校生になった私は遊び呆けました。2年目のセンター試験の方が、英語の偏差値低かったくらい。バイトも始め、田舎から都会に通っていたので当たり前ですね。しょうがない、しょうがない。

カラオケ、ビリヤード、買い物に行ったり、お好み焼き食べたりする合間に自習をし、ギリギリ大学に合格しました。

この時の友達にも、毎年会っています。

よく寝た大学生

大学生の頃は、とてもよく寝ていました。
片道2時間以上の通学距離だったので、学校に着いた時にはヘトヘトでしたね。座れなかったし。
一人暮らしを始めてからは、生活費を稼ぐのと夜勤病棟クラナドをするので忙しく、授業中は睡魔との戦いでした(敗北の日々)。

この時期は色々なスポーツにも力を入れてました。最高のバッティングピッチャーとして名を馳せ(球速ほどほど、コントロール良し)、フットサルではボールに乗って転び、体操ではあん馬役として回転を支えたりしました。副産物として、バック宙、バク転もできるように。

国家試験前も、よく寝ていました。同期の子に「毎日、図書館で寝てるよね」って言われるくらい。しょうがないのです。この時期は、大悪司で手一杯でした。図書館には、東洋経済と週刊ダイヤモンドを読みに行っただけです。

意識高い系を先取りしていたのか、お酒を飲みながら日本の将来について友人と語り合うこともチラホラ。私は経済面から、友人は軍事面からと、歴史面から。友人たちは自衛官となったり、大学教員となったりするなか、私は職場からTwitterをするサラリーマンになっています。今なら面倒なので、絶対にやりませんが。

オーストラリアでアボリジニーのおじさんからカジノでビール貰ったり、リュック1つで台湾を、ローカル電車に乗って一周したりと愉快な旅行もできました。

最優秀な大学院生

技術職に就きたかった私は、大学院に進学しました。研究自体は機械が頑張ってくれたので進みが早く、周りの助けもあり物理化学から始めた研究を生物へ応用するまでになりました。マイペースなところも研究発表の場では堂々として見えるらしく、評判は良かったです。

大学時代から私が寝ているのを見ていてくれた彼女の助けもあり、300人以上が講演する学会で最優先講演者賞を頂くことができました。夜遅くまで発表練習に付き合ってくれたお陰です。

この他にも、研究内容についてのインタビューがテレビで放送されたり、企業人向けのセミナーで60分間の講演をしたり、「先輩の説明を聞いて、この研究室に決めました!」と可愛い後輩にキラキラした目で言われたりと、充実した大学院生活でした。

新聞に載った結婚生活

働きだして数年後、同棲を経て彼女と結婚しました。支えてくれるだけでなく、人を笑わすのが好きな子です。最高の褒め言葉は「かわってるね」という、かわった子でした。頑固なところもありましたが、真面目でした。

新婚旅行には、地中海一周クルーズに行き、タキシードとドレスで写真を撮られたりホワイトナイトといるダンスパーティに参加したりと貴重な体験ができました。出国前からツアーやアイススケートショーの予約、自由時間の使い方などの準備をする時間は最高の気分でした。こんなに楽しい準備はありません! 最小開催人数に足りず、ツアーがなくなったりしたのも良い思い出です。

1人で地方の居酒屋に行った時にたまたま話した隣の席のおじさんが新聞記者で、ノロケ話と「次は妻と一緒に来たいです」というセリフが顔写真付きで掲載されました。1コーナー丸々ノロケ話です。

付き合ってから1度も喧嘩をした事がないまま、5年が過ぎました。

別れ

余命1ヶ月の膵臓癌でした。
会社休んで、ずっと一緒にいました。
私の意志で眠らせました。
49日を入れて、ようやく1年の結婚生活でした。

暗黒期

前半

持ち主のいなくなった布団に包まり、初めて泣きました。病院でも泣けなかったのに。たぶん、5分間くらいですかね。疲れていたのか、そのまま泣き寝入りしました。

病院に泊まり込んでいる期間から精神科へ通い始めました。壊れることが分かっていたため、妻の主治医にお願いして紹介状を書いて貰ったのです。案の定、鬱状態と診断されました。鬱病と鬱状態って違うんですよ、知ってました?

鬱状態って、普通の人もよくなります。拡大解釈すれば、雨に濡れて悲しくなるのも軽い鬱状態ですし、恋人にフラれてやる気出ないのもそうです。身近な人が亡くなった時に立ち上がれなくなるのも、鬱状態です。意外と身近ですよね。

処方された薬は、ソラナックスという抗不安薬でした。比較的軽い薬なので、飲んだことある方も多いかも?

初めは軽かった鬱状態ですが、自殺念慮というものが出てきました。ボンヤリと死にたいんではなくて、念密に計画を立ててしまいますし、あらゆる事象を死に直結させてしまいます。
例えば、人のイラストの上にコピーが書いてあると首を吊っているようにしか見えませんでした。嫌ですね。ボーッと考えていると一瞬景色が灰色になって驚いたり、人混みの中に入ると透明な厚いガラスがあるように感じました。でっかい水族館の内側と外側が隔てられているような感覚です。
場所・日時・方法をいくつも考えて、具体的に行動し始めることがとても楽しくて仕方ありませんでした。新婚旅行の計画を立てた時以上にのめり込む。日に日に眠れなくなる。こうして、抗鬱薬と睡眠導入剤の服用が始まりました。最終的に抗鬱薬は最大許容量まで増え、睡眠導入剤は2種類と抗不安薬を飲んでは僅かに眠れる日々。そんな状態で会社に通っていました。

会社に行くことはしんどかったですが、振り返れば正解でした。仕事中は計画立てられないし、立てたとしても実行できません。迷惑かかるしね。周りの理解もありました。あと、疲れるので眠りやすくなったと思います。人と関わることで、体は少しずつ回復をしていきました。ただ、この状態が一番危ないのですが…。

最高に鬱な時って自殺しないんですよね。体動かないから。心も常に落ちているので、突発的な行動も起こせないし。私の場合は、あらゆる事に対して、初めの一歩目を踏み出すのが億劫になりました。元気な今で例えるなら、徹夜・二日酔い・風邪の三重苦の中、早朝走りに行くよりも、あの時にベッドから起き上がるのは辛かった気がします。
そして、心の回復を待たずに体が動くようになります。ここが危ない。基本的に心は落ちているのですが、行動に心が引っ張られて上がることもありました。そのタイミングで自殺念慮が襲って来ると… まぁ、そのあたりも予習してたので、対処できましたが。日々、学んでいくって大事。

何ヶ月も死についてばっかり考えていたら、いつの間にか性格も変わったと思います。我慢が苦手になりました。あとは、人それぞれ考えているのだから自分の価値観を押し付けたくないし押し付けられたくないなと思うようになりました。

後半

そんなこんなでグダグダしていたら、少しずつ心の回復も追いついてきました。そうすると、急に寂しいんですよね。何をするにも2人だったのに1人ですし。入院中は精一杯求められて、精一杯尽くしていたので、誰かのために何かしたいっていう気持ちが溢れて止まりませんでした。でも、相手はいないし、その辺の人に急に全力で尽くし出したら気持ち悪いしさ。我慢が苦手になったので、自分を抑えることが凄くストレスでした。寂しさと苛立ちを解消するために、夜の街を出歩くようになりました。1人になると襲って来る半身をもがれた様な苦しさを、誰かと話している時は紛らわすことができたから。話してみると、みんな苦しんでるんですよね。母親に殺されかけたりしてる人や、一番食べたいものが親が作ってくれた味噌汁っていう学生や、友達の借金返済のためにAVに出ようとしている人やら(しかも、その友達の紹介で)。そういうのを聞いて、自分より辛い立場の人が沢山いるんだと気がつかされました。そして、そういう人のために何かできたらとボンヤリ考えています。具体的に何かが浮かんだ訳ではないですが。

ちなみに、男は聞いてません。興味ないので。
本にもこう書いてありますしね。

実際、男の悲惨のみを見たとて、まだ本当のものを見たとは言えない、女の悲惨を見なければいけない。女の悲惨のみを見たとてまだ本当のものを見たとは言えない、子供のそれを見なければいけない。
レミゼラブル

お姉さんに配るために名刺作ったら、途端に深い話をしてもらえなくなった事が最大の暗黒でしょうか(笑)
このショックから、結婚相談所とか婚活パーティーとか婚活サイトとかも色々行きましたね。再婚するなら早いほうが、婚活市場で価値が高いことも学びました。

これ以外に予定を入れる余裕がなかったので、ALSだった義母のお見舞いにも毎月行けました。
暗黒期も悪くなかったかも?

妻と結婚

周りの手助けもあり、現在の妻と出会い・付き合って結婚することができました。暗黒期に遊び歩いた+引越しもした+興味ある家具家電を買い漁ったのでお金がありませんでした。婚約指輪を買う余裕がなかったので、ボールペンに名前を彫ってプロポーズすることにしました、新しい名字で。

娘が生まれる(予定)

そろそろ生まれるはずさ。予定日がすぐだしね(2016年8月)
生まれてもいないのに、子供服に4万円以上使っちまったぜ。しかも、セールで最小50%オフだったのに(最大80%オフくらい)。親バカまっしぐら!

2016年8月、娘が生まれました〜。
かわいい〜、ふにゃ〜

幸せな毎日を一緒に作ってくれている妻に感謝だね。

ブログを通してやりたいこと

最初に書いた通り、まずは子どもを自慢したいね。あと、友達作り。そのうち入院中の話を書けるようになったら嬉しいね。ブログ書くために、遊ぶお金も欲しいです

誰かと誰かを繋げて、新しい仕事がしたい

例えば、ドイツでヴァイオリン弾いてる友達にインタビューしたいからインタビュアーと繋げてみたり。人と人を繋げていったら、新しい価値あるものが生まれると思うんだよなぁ。イノベーション的なやつだね。生まれたものを味わいたい。

写真などの宣伝

写真も売ってます。売るようになってから、人に評価される楽しさが分かってきた。見てくれるだけでも嬉しいもんだね。買ってくれたら、たぶん飛び上がる。全てはお小遣いのために

写真紹介

最後に

私にとって人間関係は鎖です。鎖というと、マイナスなイメージが強いですよね(クラピカ的な)
しかし、私はこの鎖のおかげで生きていられると感じています。おそらく、鎖がなくなった時には、糸の切れた風船のように空へ飛んでいくのではないでしょうか。
少なくとも暗黒期には、そう信じてました。

これは、自殺念慮と「死なないでね」という約束の狭間で不安定な中、抗鬱薬の作用で体が動かない中で延々と煩悶したうえでの考えです。風船が飛んでいかないように、友達を増やしていきたいと思っています。

また、もう1つの約束を守るためでもあります。「幸せになってね」という曖昧で抽象的で、一方的に交わされた約束です。死者の念って強いんですよ、残された人の人生を変えるくらい。人を笑わすことが好きだった子の幸せも合わせて、私は幸せでいようと思います。私一人分であればコーヒー飲みながら本でも読んでいれば幸せですが、今は1人では幸せになりきれません。笑わすことはできなくても、笑ってもらう努力くらいはしたいので。

そんなわけで、私と友達になってくれませんか?

あ、友達からの誕生日プレゼントは、年中無休で受け付けてるんで