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朝井まかて『恋歌』あらすじと感想。和歌が紡ぐ幕末の女性の数奇な運命

Camel

どうも、「31字に命をかける」という言葉に感銘を受けたラクダ@motomotocamelです。

本日は、朝井まかてさんの書いた小説『恋歌』について紹介しようと思います。

中島歌子という歌人をごぞんじですか?
樋口一葉・三宅花圃の師として語られることの多い彼女ですが、本人も歌人として成功し、和歌や書を教える萩の舎を主宰しています。
(物知り顔で解説していますが、私はこの小説を読んで知りました(笑))

第150回(2013年)直木賞受賞作品である『恋歌』は、幕末の水戸藩に起きた苦境を必死に生き抜いた中島歌子の生き様を描いた小説です。

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あらすじ

物語は主人公の三宅花圃が師である中島歌子を見舞うことから始まる。

風邪をこじらせ入院した歌子の病室に向かうと、かぐわしい花の香りが廊下まで漂ってくる。
「さすがは、老いたとはいえ歌人として名をはせた師だ」と花圃は思うが、実際は届けられた多くのお見舞いから香っているのだった。
反して誰1人見舞客のいない病室に入ると、長年萩の舎の経営から雑務までを取り仕切っていた澄(すみ)が主人の代わりに花の手入れをしていた。

昔から無愛想で苦手だった澄へ挨拶だけかわし、歌子へ話しかける花圃。
これまた昔と同じように仕事を押し付けられる。
今回はお見舞いへの返礼だった。

澄とともに萩の舎へ戻った花圃は、歌子の机から手記を発見する。
なにげなく読み始めた花圃だったが、時を忘れて読みふけてしまう。
隣では澄も手記を読んでいるようだった。

手記は中島登勢(後の歌子)の生涯を自ら綴ったものだった。
水戸藩の重役達も利用する江戸の宿屋・池田屋の娘として育った登世は、水戸藩の若き志士・林忠左衛門と出会う。
望ましい連日のお見合いに嫌気がさしていた登世だったが、容姿端麗でどこか寂しげな眼をした若い志士に見惚れてしまう。
その日は話しかけることもできずに終わるが、その後逃げだした登勢の飼犬を忠左衛門が池田屋へ届けてくれたことで再会する。

その後、桜田門外の変が起こるが、忠左衛門は傷を負っていて襲撃に参加できなかった。
しかし、そのおかげで命を落とすことなく登勢の前に帰ってくることができた。
2人の仲をよく思っていなかった登勢の母を忠左衛門が説得し、2人は結婚することとなる。

幼い頃から面倒を見てくれていた奉公人とともに、忠左衛門の実家である水戸の家へ移った登勢だったが、義理の妹てつとは打ち解けられずにいた。
また、水戸藩は天狗党と諸生党の2つに別れて対立し内紛状態であった。
忠左衛門は天狗党に属しており、度々天狗党の若き志士達が忠左衛門の家に集まり議論を交わしていた。
その時知り合ったのが、愛嬌はあるが水戸藩士らしい(三ぽい:怒りっぽい、理屈っぽい、荒っぽい)藤田小四郎である。

なかなか家に帰れない忠左衛門へ寂しさを募らせながらも、登勢は義実家と水戸に馴染もうと努力する。
そんな中、藤田小四郎が天狗党の乱を起こす。
天狗党の乱には忠左衛門も参加した。
筑波山に布陣し藩政の改革を求めて挙兵した天狗党だったが、外国から最新兵器を購入している幕府と諸生党に敗れてしまう。
天狗党の敗北は、水戸藩内での天狗党への制裁へと繋がる。

天狗党に属する志士達の家や俸禄は没収となり、女房や子供たちは捕らえられた。
これまで執政の中心から遠ざけられ侮られていた諸生党は、天狗党に対して執拗な責め苦を与える。
捕らえられた登勢やてつは隙間風の吹く牢屋に入れられ、日に日に処刑される知人に怯える。
また、忠左衛門の行方は知れず、天狗党の残党は逃亡先の加賀藩で鰊(にしん)蔵へ入れられてしまう。
下帯だけで冬の北陸にある鰊蔵へ入れられた面々は、腐った魚と自らの糞尿で汚染された衛生環境によって病に襲われていく。
この話を牢屋で聞いた登勢は、諸生党と党首の市川三左衛門への恨みを募らせながら生き抜いていく。

大政奉還が行われると、これまで罪人として扱われていた天狗党が尊王攘夷の英雄となり、諸生党は虐殺の罪人とされる。
天狗党は受けた以上の責めを諸生党とその家族へ与える。
特に市川三左衛門とその周囲の人間へは執拗に行われた。
生きて牢屋を出ることができた登勢とてつは、水戸を出て江戸へ逃げることを決意する。

江戸へ着いた登勢は、林忠左衛門が天狗党の乱で味方を庇った際に負傷し、その傷がもとで死亡していたことを知る。
悲しさに暮れる登勢であったが、悲しさだけでなく後悔の念も浮かんできた。

「なぜ、なんのひねりもない和歌を別れの時に歌ってしまったのだろう? 夫が辛い時に慰めになるように、心に響く想いを31字にのせることはできなかったのだろうか」

体を癒しながら、登勢は余生を和歌に捧げることを誓った。

10年間の修行ののち、中島歌子(登勢)と名前を変えた歌子は萩の舎を開塾する。
上流階級を中心に1000人以上の弟子をとるほどに隆盛を極めた萩の舎であったが、明治維新とともに流行も和歌から小説へ移行する。
弟子の樋口一葉が評価されると、中島歌子は歌人としてではなく「樋口一葉の師」として語られるようになる。

「31字に命をかける人はいなくなってしまったのか」

三宅花圃と澄が発見した手記は、病弱になった歌子が慣れないながらも必死に書いたものであった。

ただ1人に宛てて。

感想

「瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
われても末(すえ)に 逢はむとぞ思う」

『恋歌』では、いくつもの和歌が登場します。
なかでも最も印象深い歌は、小倉百人一首にある祟徳院のものです。
激しく流れる川の水も岩にぶつかって2つに別れてしまう。
たとえ別れてしまったとしても、川の水は岩の両側から流れていき、また1つにまとまると思う。
川の流れと岩によって分断されてしまう様子を恋人への想いに重ねて、「障害を乗り越えて、また一緒になろう」という気持ちが込められた恋の歌です。

私はこの小説を、中島歌子の生涯と水戸藩の悲哀とこの歌を重ね合わせたものだと感じました。

もとは1つだった川の流れが、岩によって分断されてしまう。
パッと浮かんだ情景は、中島登勢と林忠左衛門が歴史の流れに翻弄されて離ればなれになってしまっているものです。

水戸と江戸を行き来する忠左衛門は家を空けがちで、新婚の登勢は馴染めていない義実家で暮らしています。
このシーンでも登勢は、この歌の気持ちとなっていたでしょう。
今は離れて暮らしていても、時が経てば一緒に暮らすことができる。
子どもを作ることもできると。

天狗党の乱が起こり、牢屋に捕らえられた時も登勢は歌の気持ちとなったはずです。
自分は捕らえられて、いつ処刑されるかわからない。
忠左衛門の行方は知れず、天狗党の乱は敗戦し、逃げ延びた天狗党の面々は鰊蔵に閉じ込められている。
それでもいつかは解放され、忠左衛門と出会うことができるはず。
忠左衛門はきっと生きているはず。
そう思って、登勢は牢屋での日々を乗り越えたのでしょう。

途中まで、「この小説は、時代の流れによって無理やり別れさせられた夫婦と祟徳院の和歌を重ね合わせたものだ」と感じていました。
しかし、最後まで読み終えた時、この和歌は中島歌子の生涯だけを表しているのではないと考えます。

もともとは尊王攘夷の志士として1つであった水戸藩士も、いつしか天狗党と諸生党に分かれしまいました。
お互いを憎しみあい、すさまじい数の死者をだし、血で血を洗う争いも歴史の流れに翻弄されたとみていいでしょう。

忠左衛門と再び一緒になることの叶わなかった登勢が、死ぬ直前に書いた手記によって1つになることができた天狗党と諸生党の関係こそ、祟徳院の和歌と重ねられたもう1つのテーマだと考えます。

「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思う」

そう考えれば、同じ天狗党同士である登勢と忠左衛門は、初めから一緒だったと見るのは都合が良すぎますか?

おわりに

幕末についてはあまり詳しくなくて、小説も司馬遼太郎の『竜馬がゆく』くらいしか読んだことがありません。
『竜馬がゆく』も坂本龍馬が主人公ということもあり、水戸藩については舞台になることがほとんど無かったと思います。

また、和歌についても学校で『万葉集』や『古今和歌集』って名前を聞いた気がするなぁってくらいの興味しかありませんでした。

お勧め図書の中からなにげなく選んだ朝井まかての『恋歌』ですが、物語の中に引き込まれるような感覚を持ってました。
活発な中島登勢の姿を通して見る幕末の水戸は、荒っぽく粗野でありながらも面白く、また悲しい土地であったと感じます。

そして、当時の人たちにとって和歌というものがどれほど尊重されていたのかも知ることができました。
なんとなく聞き流していた「辞世の句」も、人物の生き方を知り、その後でしっかりと味わってみたいと思います。

今は水戸藩つながりで、冲方丁の『光圀伝』を読んでいますので、そちらも感想を待っていただけると嬉しいです。

また、前回はAndy Brunningの『カリカリベーコンはどうして美味しいにおいなの?(英題:Why Does Asparagus Make Your Wee Smell?」の感想も書きました。
こちらは身近にある食べ物や飲み物に関する疑問を科学的に解説した本です。
一見難しそうな話題でも、丁寧な解説とインフォグラフィクスを使った絵で楽しめること間違いなしです。
科学って面白いなって思っていただけると思いますので、こちらの感想もお楽しみください。

Camel

こんな人間が書いています。
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