2017/08/234 Shares

新書太閤記:全11巻【著:吉川英治】あらすじと感想 。現代で通じる戦国武将流仕事の取組み方

Camel

どうも、長編小説好きなラクダ@motomotocamelです。
最近は吉川英治の書いた小説『新書太閤記』を読んでいました。
全11巻なので、かなりのボリュームでした。

そこで本日は、『新書太閤記』のあらすじと感想を紹介したいと思います。
戦国武将の生き様から見えた、現代でも通じる最高の働き方に注目しています。

スポンサーリンク



あらすじ

動乱の中世に終止符を打ち、新世紀を開いた豊臣秀吉の生涯を描く、規模雄大な出世物語が本書である。
民衆の上にあるのではなく、民衆の中に伍してゆく英雄として、秀吉は古来、誰からも愛されてきた。
――奔放な少年時代を過ごした日吉が、世間を見る眼も肥え、生涯の主君として選んだのが、うつけで知られる織田信長であった。
随身を機に名も木下藤吉郎と改め、着実に出世街道を歩んでいく。

小説は後の太閤秀吉である日吉が生まれるところから、関白となった豊臣秀吉が徳川家康と戦った小牧・長久手の戦いを過ぎたあたりで終わる。

天文6年(西暦1537年)、木下弥右衛門となかの間に一人の息子が生まれた。
貧しい水飲み農家であるなかは十分な栄養を摂ることができず、日吉は梅干しのように赤くシワシワで小さな男の子だった。
日吉は大きく健康な子に育つことはなかったが、それでも明るく好奇心旺盛な男子に成長した。

弥右衛門が死に、なかの再婚相手である竹阿弥からは暴力を振るわれるようになった日吉は寺で修行をしたり、茶碗屋で奉公したり、その他にもいくつもの場所で働くが長続きしない。
誰よりも一生懸命に働く日吉は雇い主に気に入られるが、それが同僚から妬まれてしまうからだ。
妬みは嫉妬につながり、貧農という出自を根拠にした悪評となる。
その悪評が雇い主にも伝わり、最後には誰も庇ってくれなくなるのだ。
命を奪って財宝を盗もうとした盗賊を持ち前の知恵と弁舌で追い返した時も、日吉が盗賊を招き入れたのだと疑われてしまう。
こうして、少年期の日吉は周囲から「なにをやっても長続きしないダメなやつ」だと言われながらも、稼ぎの全てを実家に送る優しい男に育っていった。

奉公先がなくなった日吉は地侍の蜂須賀家で働くようになる。
蜂須賀小六は地侍でありながら誇り高く生きており、むしろ普通の侍よりも侍らしく生きようと精一杯に家内をまとめていた。
細やかに働く日吉は小六に気に入られるが、やはり同僚には嫌われてしまった。  
ここでも悪評が広まるが、全国を行脚していた恵瓊の助けもあり、徐々に信頼を獲得できるようになる。
そんな時、稲葉山城で斎藤道三と息子の義龍が争いを始める。
蜂須賀家は道三側に組すると決め、小六は日吉をはじめとした家来を忍びとして城下町へ送った。

稲葉山城下で情報収集をしていた日吉だったが、生まれながらの性格として裏で働くことに向いていなかった。
明智光秀に捕らえられ、命の危険を感じたこともあり、日吉は任務を外れて脱走する。
数多くの主君に仕えた経験から、日吉は「なによりも誰の下で働くかが重要である」と悟る。
その日暮らしをしながら各国を周り、優れた主君を探していた日吉の前に現れたのが織田信長である。
うつけ者と噂されている信長の先進性・決断力に惹かれた日吉は、信長へ命がけで「自分を雇ってくれるよう」に訴えた。

こうして、少年・日吉は織田信長を主君として働くのだった。

信長の下で順調に出世した日吉は羽柴秀吉と名前を変え、毛利討伐の軍団長として出陣することとなった。
柴田勝家や明智光秀といった同僚からは疎まれているが、信長が唯一気を許せる家来として重宝されている。
今の立場に感謝しながら高松城の水攻めを進める中、京都から連絡が入る。

「本能寺において明智光秀が主君・信長を打ち取った」

本能寺の変を知った秀吉は、毛利輝元の講和し、急いで京都へ軍を動かした。
逆賊・光秀を討伐した秀吉は後継者争いでも一歩抜きに出た存在となる。
後継者争いのライバルである柴田勝家や織田信孝、滝川一益と争うことになるが、これを破った秀吉は実質的に織田家中の実権を握ることとなる。

名実ともに信長の後継者となった豊臣秀吉に対して反意を向けた者がいる。
信長の次男・織田信雄と信雄を裏で操る徳川家康である。
秀吉と家康は小牧・長久手で戦を始める。
秀吉は甥・豊臣秀次を総大将に据え家康の本拠地である三河へ奇襲作戦を行うが、家康に読まれ失敗してしまう。
この奇襲失敗が原因となり、秀吉は小牧長久手の戦いに敗れてしまったのだ。

感想

侍の一生は桜ようだと感じます。
長い下積みを経て戦さ場で花を咲かせ、パッと散る。
そして、散り際の美しさを何よりも誇るのだ。

そんな生き方が、日本人の大好きな桜の花と重なるんです。

美しく峻烈な死には敵であっても賛辞を贈り、醜い本能をあからさまにした最後には身内であっても罵らずにはいられない
常に死が身近にあった戦国時代ならではの価値観だと思います。

その戦国時代において、最も大輪の花を咲き誇ったのが豊臣秀吉です。
貧しく生まれ、最下層から成り上がり、少しずつ幹を太くしていきました。
本能寺の変をキッカケにして蕾を膨らませ、明智光秀、柴田勝家を打ち負かしたのが三分咲き。
戦に負けたにもかかわらず、徳川家康を上洛させたので五分咲きといったところでしょう。
ここからが 、豊臣秀吉にとっても桃山時代の庶民にとっても天下泰平の下、満開の桜で花見をした時代だと言えます。

この小説は五分咲きの少し前で突然に終わってしまう。
読売新聞に1939年から1945年の間に掲載されていた連載小説なので、打ち切りにでもあったのでしょうか?
それとも、6年も同じテーマで執筆していて飽きたのでしょうか。
この1点だけが残念だと感じます。

『新書太閤記』は豊臣秀吉が主人公であるため、彼の人生から仕事をする上でヒントとなる逸話が数多く語られます。
これは豊臣秀吉をはじめとした戦国武将を通して伝えられる、一流の小説家である吉川英治が大事にしている仕事の術なのだ。
だからこそ、現代でも色あせないのでしょう。

そこで、感銘を受けた仕事の術について『新書太閤記』の中から抜粋し、紹介します。

豊臣秀吉から学ぶ『怖い上司との付き合い方』

彼に限っては、どんな仕事でも仕事を愛することが出来た。
それは、貧しく生れたからばかりではない。
現在の仕事は、常に、次への希望の卵だったからである。
それを忠実に抱き、愛熱で孵す時に、希望に翼が生えて生れることを、彼は知っていた。

秀吉の仕事観について。
はじめは刺激的だった仕事も、だんだんと飽きてしまう。
もともと興味がない仕事であれば、なおさらである。
そんな抑うつとした心理状態の時に思い出したい『仕事への向き合い方』だと考える。

忠実。
それしか、考え出せなかった。
それも、何を忠実に、などと考え分けてするのでなく、何でも忠実にやろうと決めた。
忠実なら、裸になっても、持てると思った。
だが、その忠実を、どういうふうに行ってゆくか、と自問自答して、──なりきる!  というところへ、彼の肚が据った。
どんな職業でも、与えられた天職に、なりきってやろう。
庭掃除でも、草履取りでも、厩掃除でも、なりきってする!
将来の抱負をもっていても、その希望のために、現在の足腰を浮かすまい。
現在から遊離して、将来のあるわけはない。
希望は、なりきっている下っ腹において、上面に出すものではない。

こんな気持ちで働けたら強いだろうなと思う。
現実から遊離して、将来のあるわけはない。ってところだけは心に留めたいと思う。
他を実行できたら、どこででも一流になれるだろうな。

(食物は、どこにでも得られる物だ。人間には天禄があるから)という信条と、 (鳥獣にすら、その天禄がある。
けれど、人間たちは、世のために働けという天のご使命をうけている者だから、働かない者は、喰えないようにできている。
──だから人間は、喰うためあくせくするのは恥辱で、働きさえすれば、当然な天禄が授かるのだ)と考えていた。
だから彼は、飢えると、食う食慾より先に、働くことを先にする。

「食うために仕事をしてはいけない」
これは正しいと思う。
自分の「やりたい!」という気持ちに突き動かされた時だけ、満足できる成果がでるのだ。

使いの返辞は、平凡がよい。
そのあいだに使いの者の主観や感情の混入するなく、ありのまま、有体の報告が、最上とされている。

報告されるときは「確かに!」と思うことだが、報告する側になると言い訳や苦労話が混じってしまう。
特に悪い報告をする時には、「嫌なことを伝えたくない」気持ちがこうさせるのだろう。
上司は「まず結果を知りたい。必要なら仔細は後で聞くから」と思うものなので、常々気をつける必要がある。

武田信玄から学ぶ『マネージャーとしての心得』

国持大名が侍を召し抱えるのに、いわゆる武勇一徹や行儀者ばかりを尊重する風をわらって、「おのれの好みによって、同じ型の人物ばかり揃え、人間を一律にみること信玄は大嫌いである。──春は桜の色めき、秋は紅葉のいさぎよさ、夏の清涼淡々たる、冬の黙々と鈍重なる、みな人間にもある特質で、いずれを是、いずれを非ともいえない。要は、用うる者が天体のごとく、それらの人々を自然大にうごかせば、万象みな有能でないものはない」と、語っている如きは、彼の人間観や、また家士を養う心がけの窺えることばである。

武田信玄の言葉である。
こんな上司の下で働きたいし、こんな上司になりたい。
成果が出ないのは全てマネージャーの責任だと言えるマネージャーを目指している私には、指針となる言葉だと感じた。

小我な欲望は、とどきそうなことでも得手とどかないが、忠節からほとばしる真心なら、どんな至難と思われることでも貫けるものではある──ということをひしと感じた。

なにかに失敗したり困難を乗り越えられなかったりした時は、自分に真心が足らなかったと言うようにしよう。
なんかカッコいいし、前向きに反省ができる。

滝川一益から学ぶ『尊敬される引退の仕方』

血気や短気は、青くさい若者だけの通性でなく、初老にかかる老人こそあぶない短気の持ち主でもある。
それは生理的にも、自制と反省が弱まる頃だし、ひとつには、(いまのうちに、花見もせねば)というアセリや、負けん気に駆られがちだからといえよう。

滝川一益が時勢を読まずに豊臣秀吉に反抗し、手も足も出ずにやられた話。

毎回録画しているNHK BSプレミアム『英雄たちの選択』で脳科学者の先生も同じことを言っていたと思う。
60歳前後は脳の衰えと心のはやりのバランスが悪く、大きな失敗をしがちだそうだ。

私も「自分ならできるかも?」って思いがちなので、定年間際になって修行もせずに、脱サラして蕎麦屋とかを始めないように気をつけなきゃ…
占いでも50歳代は苦労するって言われたので、滝川一益の人生を自分に重ねて生きていこうと思った。

まとめ

太閤・豊臣秀吉の半生を描いた小説『新書太閤記』のあらすじと感想をまとめました。

日本史上で最も出世した人物と言って過言ではない豊臣秀吉。
彼は最も職場の人間関係に悩んだ人物だと言える。

日本一気難しく、虐殺も辞さない上司。
どんなに結果を出しても、貧農出身だからと認めてくれない同僚。
家柄もよく元上司の盟友だった部下。
一つとして心休まる要素がない。

秀吉や周りを彩る数々の武将たち。
彼らの生き方・働き方から、現代でも活かせる仕事のやり方を学んだ。

最後に1つ、心に留めたい言葉で締めたい。

──克ク人ヲ休メ得ル者ハ、又克ク人ノ死力ヲ用イ得ル者也

しっかりと働いて欲しければ、まずはしっかりと休ませることを考えなければならない。

敵前逃亡するわ、すぐに裏切るわ。
そんな部下が働いてくれないと自分が殺されてしまうわ。
こんな中間管理職である武将が大事にいていた心構えである。

部下を持ったなら、この考えを自分のために使おう。

Camel

こんな人間が書いています。
プロフィール